湊川合戦・その他
付近住所 神戸市兵庫区会下山町3・他 | 会下山公園 湊川公園 湊川神社 |
楠木正成公墓碑 此の墓碑は延元元年(1336年)5月25日御殉節せられて後、350年余を経た元禄5年(1692年)12月21日徳川光圀公によって建立さられたものである。 碑面八文字「嗚呼忠臣楠子之墓」は光圀公筆にして碑陰に明の遺臣朱舜水の撰文を彫す。 徳川光圀公御像並頌徳碑 徳川光圀公は元禄4年(1691年)水戸の藩主を辞して西山荘に隠退し大日本史の編纂に着手されたが翌元禄5年大楠公(楠木正成公)を景仰して「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立し其の御盛徳を天下に顕彰された。 湊川神社において此の御功績を追慕して御像の建立を発願し、委員長に小倉正恒氏を戴いて昭和30年7月11日に完成したものである。 楠木正成公戦歿地 此の地は延元元年(西暦1336年)5月25日楠木正成公(大楠公)が一族16騎、郎党60余人と共に自刃せられたところである。 明治元年(1868年)明治天皇は大楠公を千載の一人、臣子の亀鑑として鎮祭すべき旨仰せ出され此の地を含めたところに湊川神社が創建せられたのである。 湊川陣跡 楠木正成公像 徳川光圀公像 楠木正成公墓 楠木正成公戦歿地 |